いきも的幸せの求め方

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こんにちは、いきもです。

 

今回は私がしてきた「幸せの求め方」について書いていきます。

 

今回の記事は「幸せがほしい」って思うけど、どうすればいかわからない人へむけたものです。

少しでも参考になればいいかなと思います。

 

  

幸せがほしいのに、幸せが何かわからない

「幸せが欲しい」

ってみんな思ってるけど、

 

「幸せとは何か?」

について真剣に考えて人って意外と少ないんですよね。

  

かくいう私もそうでした^^;

 

「幸せになりたい!」

と思ってたけど

「じゃああなたにとっての幸せはなんですか?」

と聞かれると

 

「・・・?」

うまく答えることができませんでした。

 

 

なぜなら私が考える幸せは、

長く喜びが続くもの。

長く、というのは生きてる限りずっと

ということ。

 

「お金さえあれば幸せ」とはちょっと思えないし、

 

「美味しいものを食べる幸せ」も

お腹いっぱいになったらどんな美味しいものも美味しくない。

 

「人に感謝されると幸せ」だって

やがて当たり前になって感謝されなくなったとたんに幸せじゃなくなるわけで。

 

「ごろごろしているときが幸せ」というのも

ずっとごろごろしてはいられないし(できたとしても飽きるし)

 

大好きな人と暮らす日々は確かに幸せだけど、

命を持つものの宿命として、一生一緒にいることは不可能。

 

そんなことを考えると、

そういう一時的な「喜び」は、幸せではないよなぁって思うのです。。

 

どれだけ自由でも

どれだけ美味しくても

どれだけ認められても

どれだけパートナーが大好きでも

 

その「喜び」がいつか終わってしまうことは目に見えているのに

それを見ないふりして「今を楽しむ」なんて

 

なんだかとても変な感じがしたのです。

 

変わらない幸せの難しさ

そんなわけで、私は自分の幸せを求めるときに

「できるだけ長く幸福感が続くこと」

というのを大事にしようと思いました。 

 

お金や食事は

手に入れた瞬間に「価値を感じなくなる」性質が強いように感じます。

 

そして他人からの承認は、ケースバイケースなことが多過ぎる。

同じことをしても人によって、タイミングによって

褒められる時とそうでないときがあるからです。

 

席を譲って感謝されることもあれば、「そんな年じゃない!」と怒られることもあります。

だからここだけを求めて生きるのは疲れます。

 

愛情も、相手次第。

恋愛、友情、親子の情も同じ。

 

永遠の愛って本当に素敵だけど、命ある限りいつか必ず別れが来ます。

愛におわりはなくても、命におわりはあるので

ここだけに依存するのもあんまり・・・。

  

ごろごろしていても、けっきょく何かやらないといられないわけで、

お腹はすくし、刺激がほしいし。

疲れているときには必要だけど、ずっと寝てたら心が病んでしまいます。(経験済み)

 

じゃあどうしようか?とかんがえてしまいますよね。

 

過去の哲学者たちも悩んだ

実際、この問題は大昔からあれこれ議論されてきました。

 

・幸せを求めること自体が幸せなんだ

・欲望を持たずに安定感をもって生きるのが幸せだ

・ほしい物をどんどん叶えていくことが幸せだ

・自分で幸せを手に入れるのは不可能だから、外からもらってくるものだ

・ただただ目の前のことを受け入れるのが、幸せだ

 

とかとか、いろんな説があって。

 

結局答えが出ない、というのがわりと一般論になっているようです。

 

考えるのもいいけど、とりあえずわかりやすいことから

私が思うに、考えるというのは「形にする」ということだと思っていて。

だから悩むよりは動くことを大事にしています。

 

だって、結果が出たほうがわかりやすいから。

 

幸せ論として正しいかどうかは別として

 

一番わかり易いのは

「ほしい物が手に入る」ことかなって思います。

 

漠然とした「しあわせ」がほしいと言ってても

それでは時間が過ぎていくだけだってことは、これまでの人生でよくよく痛感したことなので。苦笑

 

必要なのは

「私がほしいものってなんだろう?」

って素直に認めてそのために動くことじゃないかなって思います。

  

 

・・・まぁ私自身、それを聞かれても最初は全く浮かびませんでしたけれどね^^;

 

やりたいこともなければ

ほしい物もない。

 

きっとどこかで

「ほしがっちゃいけない」

という感覚があったんですね。

 

それから

「私の欲しいものはどうせ叶わない」

とも。

 

 

だからまずは

「欲しい」と許可できるだけの自分になろう

と思いました。

   

結局今できることは、認められる自分に見合う行動を起こすこと

とりあえず褒められそうなことを、と思って

 

会社で元気にあいさつしてみたり

傾聴を学んで夫や友人の話を徹底して聞いてみたり

ぺちゃんこになる前に自分の体調を管理して意識的に休息をとったり

真顔を笑顔にすることを意識したり。

 

人のために頑張れて、自分の事をちゃんと管理できる自分になれば

「これくらいのものを欲しがったっていいだろう」

と自分で思えるようになるかな、と思ったのです。

 

 

・・・まぁ、最初は失敗だらけ。

 

あいさつなんてビビりすぎてできないし、

相手の話を聞くにも「我」が邪魔してつい自分の話をしちゃうし

「大丈夫だ」と思ってたら全然大丈夫じゃなくてメンタルがダウンしてたり

笑顔なんてどこに置いてきた?ってくらいの無表情で過ごす日も何度もありました。

 

だけど決して挑戦することはやめませんでした。

 

何度も何度も失敗したけど、時には数ヶ月ストップすることもあったけど

「もうやめよう」と思うことはありませんでした。

 

だって、やらなかったら幸せになれないのがわかってたから。

  

たとえ今できなくても、やらなかったらできるようにはならないし

それでは「幸せを求めていい自分」になれないと思ってたから。

 

結局、自分を大事にするとか、幸せをつかむとかって

自分の心がそれを受け入れる体制ができてないと不可能で。

 

たとえ同じ幸運がその人にふりかかっても

本人に幸せを受け取る気がなければ、幸せは実感できないんですよね。

 

幸せって、「実感するもの」。

実感できなければ、どんな幸運も持ってたって役に立たない。

  

逆に言えば、実感できれば別に頑張る必要はないんですよね。

本当に小さな事でも幸せだと思えたら幸せなんですから。

 

だから「私には幸せになる価値がある」って思えさえすれば、

幸せになることは簡単です。

 

ただ、私は自己否定をこじらせすぎてここからつまづいていたので。

 

まずは「幸せを求めていいレベルの努力をしている人」になることから

始めたわけです。

 

我ながら、めんどくさいですね笑

 

結果として、この作戦はなかなかうまく行きました。

 

多少自分を認めることができるようになったことで

小さなことでも幸せを感じる要素(褒められたり、好かれたり、のんびりできたり)を実感できるようになりました。

 

本音で「ああ、幸せだなぁ」って言えるようになったんです。

 

我ながら面倒なタイプだったけど、

最終的には「本当の幸せに対する答え」もちゃっかり見つけることができました。

 

 

だから、まずは自分に嘘をつかないこと。

「幸せになる権利を自分に許可するために」できることからはじめること。

 

それが一番の幸せの近道だったのかなぁ

と私は今になって思ったのでした。

 


私は、自己否定・超ネガティブ思考・人間不信とボロボロの精神状態から、多くの学びを得て問題解決力をつけてきました。

 

そのおかげで現在は、不安のない、自分の価値観に合った心地よい人生を送っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

HSP内向軽度ADHD 不安と卑屈でいっぱいの人生を心と頭に関する知識で改善。 知るだけで生きやすくなる思考を発信中。 ●刺激少なめゆとり生活 ●ギクシャク関係だった夫と円満化 ●過干渉な母との関係改善 ●人見知り克服 ●信頼・感謝の人間関係 ●自分に合うお仕事発見 ●注意欠如やパニックによる失敗の激減 3度の飯と読書がすき。