いきもが就活で自己肯定の底辺を味わった話

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こんにちは、いきもです。

就活って、うまくいく人はいくんだけど

うまくいかない人はホントにうまくいかないですよね。

 

ちなみに私はホントにうまくいかないタイプの人でした。

 

どれくらいうまくいかなかったって、100社受けて100社落ちるくらい。

 

うまくいかな過ぎて、人生で一番自分が嫌いになりました。

そして人生で一番人を恨みました。

 

彼氏(今の夫)と険悪になったし

良かれと思って情報収集してくれた母親のことも嫌いになったし

どんどん内定をもらう周囲の友達に恨みのこもったまなざしを向けかけました。

 

余裕がなさ過ぎて人としてやばかった時期だなぁ。(遠い目)

今思えば完全にただの責任転嫁でしたけども。

 

自尊心とか小麦粉ですかってくらい木っ端みじんになったこの経験ですが、

 

今就活でつらい思いをしている人や

過去に就活でしんどい思いをして(もしかしたら現在進行形でもつらい)人に

どうしても伝えたい話があるんで書いてみました。

 

いきも就活時代

私の就活の話を少しさせてもらうと、

時期でいえばちょうど就職氷河期真っただ中でした。

 

2012年とか2013年とかそのあたりかな?

リーマンショックが尾を引いて、新卒採用はけっこうシビアな時代でした。

 

内定が決まる人もあんまりいないし、

内定取り消しなんて話もちらほらあったりしたし、

 

2社受かったけど片方の会社に断りの連絡を入れたら怒号が飛ぶとか

水をかけられた人もいたとかなんとか・・・

 

今考えるとけっこう無茶苦茶ですね。

 

 

2020年の今は有効求人倍率は上がってきたと言いますが、

苦戦している人も十分多いのではないでしょうか?

 

その原因についても後程書いていこうと思います。

 

 

そんで、私の就職活動の話ですが

真面目に就活セミナーも行ってたくらい「がんばるぞ」と思ってたんですが

実際のところ就職にあまり前向きではありませんでした。

 

就職=しなきゃいけないもの、卒業したら嫌でも入っていかなきゃいけないもの

「できたらしたくなーい」というのが本音でした。

 

ただ、そうも言ってられないので(当時としてはかなり遅めの)3年生の冬くらいに重い腰を上げて就職活動を始めました。

(企業を調べるとかエントリーする会社を探すとかね)

 

 

ただね。

まー決まらない。

 

受けても受けても「お祈りメール」「お祈り文書」が届くんですよ。

 

最初のころは「落ちて当然くらいで行くのがいい」って聞いてたので

 

この時のダメージはそれほどでもありませんでしたが、

あまりにばたばた落ちるので

「はい、どうもどうも。ってどうせテンプレでしょコレ」

とメールにつっこむ気力もだんだんなくなっていきました。

 

 

一方の私の彼氏(今の旦那)は内定が決まるのが本当に早くて。

 

4年生の5月くらいにはスパンと3社くらいから内定をいただいて。

ここにするか~、みたいなノリで進路が確定してました。

 

彼は基本人当たりが良くて、授業もちゃんと受けて、成績はそこそこだったけど、対人スキルは抜群でした。

だからまぁ、「そりゃそうか」って気持ちもあったんだけど。

 

ただ内心、

いやいやいやいや。

なんであなたがそんなあっさり通過してるんですかー

 

勉強だって私の方が真面目にノートもテスト対策もするし、

成績だって私の方が上だし、

部活だって委員長でみんなの仕事全部把握して回してたんだから

仕事任せるなら私の方が絶対うまくやれるよー

 

という思いでいっぱいでしたね、当時の私は。

 

そんな事はたくさん起きました。

飲み会となるととんでもない飲み方をして、

授業もろくすっぽ出席しないような奴に限ってどんどん内定が決まっていく。

 

しかもけっこうネームバリューのいい会社。

 

世渡り上手な人やすぐサボろうとする人ほど、とんとん拍子に決まっていく。

 

あまりに多いので

「え、なにそれ」

「会社って明るくて元気で素直そうな大学生なら、在学中の態度がどうだっかたなんてどうでもいいのかぁ」

とげんなりしながら気づけば4年の夏休みを迎えました。

 

 

この辺でだんだん感じるわけです。

「あ、就職したくないって気持ちがたぶん見透かされてる」って。

 

 

だって皆そうじゃないですか。

 

自分のまわりの大人、楽しそうに仕事してる人

誰もいないんですよ。

 

死んだ魚の目みたいな顔して、ため息ついて会社に行って。

たまの休みに寝だめしたり、お酒飲んだり、

バーゲンセール言ったりランチして愚痴言いまくって憂さ晴らしするしかストレスのはけ口がなくて。

 

リアルでもニュースでもそんな人ばかり。

 

先輩や大人は口々に

“大学は「人生の夏休み」それが終わったら「定年まで地獄」”

“みんなそうだからあきらめろ”

って言うし。

  

そんな未来見せつけられて、積極的になれるはずないじゃない。

 

ただ、そうは言っても働き口がないと、社会的な「死」なわけで。

 

仕事が見つからないと世の中としては

「どの会社にも雇ってもらえない役立たず」ってレッテルが貼られるわけで。

 

それだけは絶対阻止しなければならん・・・

と思ってたので4年の冬には相当焦ってました。

 

だって私の周囲にいる友達、このころには7割くらい内定決まってたから。

「いきもなら大丈夫だよ」
「いきもはちゃんとしてるもの」

そんな友達の言葉もぜんぜん響かないくらい、精神的に落ちてました。

 

この時点で多分、80社くらいに断られたかな・・・。

そうなるともう心理状態はこんな感じ。

 

 

80受けてどこにも「いらない」って言われるって、自分相当じゃない?

数打ちゃ当たるのレベルをはるかに超えている・・・

これっていよいよ本当に、私会社からみて「役に立たない」ってことだよね?

これまで頑張ってきたことも、良かれと思って真面目にやってきたことも評価されないし。

評価されるのは「笑顔」とか「社交性」とか「はきはき」とか私には苦手なことばかり。

「会社が求める人物像に自分が合ってることをアピール」って、そもそもこの会社が何を求めてるのかさっぱりわからないんですけど?

HPに書かれてるのは目標に向かって前向き、とか誰とでも良好な関係、とかひたむきに努力できる人、とか「そんキラキラに完璧な人間いるんですか?」みたいなのばかり。

少なくとも私はそこに該当しないわけで・・・。

 

あれ、ていうかそんな人ばかりなのにあんなに仕事ってつらそうなの?

じゃあ社会人の仕事ってめちゃくちゃ大変じゃない?

・・・ねぇつまりさ、

私って社会にとって不要ってことだよね・・・?

いらないってことだよね・・・?

世の中のサラリーマンがそんな優秀な人ばかりなら、

私これ、就職できないどころか社会で生きていけないんじゃないの・・・?

 

 

 

とまぁ、ぐるぐると。

自分が社会に適合できない可能性しか見えてこなくて。

 

いよいよヤバイと思った私は、

それまで行く気もしなかった就職課に相談に行くことに。

 

正直、行きたくなかったんですよね。

 

行ったら

「今まで何やってたの?」

「こんな履歴書じゃだめだよ」

「そんな態度じゃ面接で落ちるよ」

ってダメ出しをいっぱいくらいそうで。

 

自分の社交性のなさがめっちゃ露呈しそうで恥ずかしかったんです。

 

でも、いよいよもうどうしようもなくなって文字通り泣く泣く相談に。

 

窓口のおじちゃんは一言も否定せず私の話をウンウン聞いて、

「とりあえず、これ行ってみな」

と就職セミナー合宿のチラシをくれました。

 

それは都内で行われる就活セミナー。

昼食、交通費は持参自腹。

1日みっちりスケジュールが組まれていて、開始時刻は8時。

今住んでいる場所からだと始発でギリギリ。

を、まさかの連続4日間。

 

うえ、まじすか。

というのが正直な本音。

 

でももう、これしか私に残された手段はなかったので

藁をもつかむ思いとしぶしぶの半々の気持ちで参加申し込み。

 

 

で、行ったらもう、予想以上にスパルタでした。

 

講師の先生が入ってきた瞬間、

「全員立つのが遅い。さっさと立ってください。やり直し。」

「学生( ゚Д゚)」

「皆さんは教えてもらう側の人間です。そもそもの態度がなってない。」

「学生( ゚Д゚)は?」

 

そんな状態でした。

 

もちろん、遅刻した人はその時点で参加不可。

終始ずっとスパルタだったわけではないけれど

「仕事とはどういうものか」

「社会に出るとはどういうことか」

という話から

 

就活向けのメイクの方法、名刺交換のやり方、自身の人生の棚おろしのワーク、

しまいには入社してから来客が来てご案内するまでのロールプレイングなど

 

「就活関係あるのか?」と思うようなことまでみっちり叩き込まれました。

 

ひーひー言いながらあれこれやって、何とか最終日。

 

私はグループのメンバーに恵まれたおかげか、ロールプレイングでの最高評価を頂いてなんとかセミナー合宿を終えることができたのでした。

 

で、そこで学んだことが良かったのか、

それとも「あれだけやったんだから」と自信がついたのかはわかりませんが

 

その後内定をいただき、何とか就職活動を卒業式の11日前に滑り込みでいただいたのでした。

就活の失敗で私が失ったもの、後悔したこと

後悔したこと

・もっと早く、プライドとか「恥ずかしい」とかいう感情を捨てるべきだった

・自分に足りないところおとなしく認めて、それを埋める努力をすべきだった

 

結局、私が面接練習しなかったのは、「うまくできない自分」を見たくなかったからで。

 

つまり元をたどれば「何でもできる(はずと思ってた)自分が、就職活動が死ぬほどへたくそ」という事実を受け入れたくなかったから何ですよね。

 

今思うと、どんだけ自信満々で傲慢なんだ、って話です。

 

失敗の原因はつまり、私のプライドがめちゃくちゃ高かったこと。

 

自分は間違ってない、という気持ちが強すぎて

自分が欲しいものを手に入れるための戦略に目が向かなかったんです。

失ったもの

・1年半という自由に使えたはずの時間

・その時間でできたはずの経験
(彼氏と大学の卒業旅行に行くという人生で1度きりのチャンス
(もっと沢山本を読む時間やアルバイトをして社会経験や貯金や奨学金の返済、なんなら一人で旅行したりもっと人と出会ったりすることもできたはず)

・精神的な余裕

・周囲からの信頼

・多額の交通費(たぶん平均で月2万くらい使ってたから合計30万くらい)

・自尊心、自己肯定感(ここで失ったことでその後3年にわたって私を苦しめることになる)

 

得る必要のなかったもの

・「私は役立たずだ」、「人から必要とされない」という根深い思い込み

・100社受けて100社落ちた、そしてその間何一つ改善策を講じなかったという不名誉な実績

・それをなぜか「自分ちょっと頑張った」みたいに話すしょうもない自尊心

 

これによって私が学んだこと、経験値としてわかったこと

就職活動を経て、5年ほど勤め人を経験して、

今は勤めずに自分でお仕事をつくる状況の今、思うことがあります。

 

それはまず1つは

「ノリと勢いだけで入社する就活生も、そんな人材を優秀だと思って採用してる会社も、そもそもおかしい」

ということ。

 

そして「サラリーマンとして給料もらって初めて一人前」という概念がそもそも意味が分からない、ということ。

 

実際に、面接で優秀だった人材と企業との間でミスマッチが起こって離職が尋常じゃない例は腐るほどあります。

 

私の夫が勤めてた会社もそうだし、私の友人も転職、離職している人をもう10人以上聞いています。

 

私はプライベートな話をする友人が少ないほうなのですが、それでこの数なのだから、実際はもっともっといるんじゃないだろうかと。

 

だから私はそもそも「この採用方式は絶対おかしい」と思ってます。

 

 

ただ、就活がうまくいかなかった自分の行動を正当化するつもりは一切ありません。

なぜなら、世の中のルールが「そういうもの」なのであって

それを理解する努力もせずに自己流でなんとなくやって反省も改善もしなかったせいで結果が出なかったのは事実だから。

 

情けないけど。

本音はめちゃくちゃ「社会が悪い!企業が悪い!」「私は頑張った!悪くない!」って言いたいけど。

こればっかりは事実として受け入れざるを得ないです。

 

 

もちろん、従来の採用方法でそれでいいと思ってる企業も学生は普通にやばいと思います。

 

効率や前例(今までそうしてきたから)だけ重視して、

一番大事な「何のために」がすっぽり抜けてしまってるから。

 

企業が学生を採用するべき本来の理由は、「単純に働き手を補充するため」ではないはず。

 

もっと会社に必要な人材を増やして、お客さんにより多くの価値提供するのが本来の目的であるはず。
 

その結果として売り上げや業績が上がるのであって、補充を目的とした採用では業績は維持はできても上がらない。

 

 

学生が企業に応募するのだって、

「いい会社に入っていい給料もらうため」とか

「そこそこ遊べてそこそこの仕事してそこそこの給料もらうため」じゃなくて

  

「自分が世の中に価値を提供する」

「その為に自分の強みを一番発揮しやすい仕事や職場を選んで入社する」

「その結果、お給料がもらえる」

が本来のうまくいく形だと思うんです。

 

そしたら会社の業績も上がるし、入社した人のお給料も上がるでしょう。

(え、上がらないと思う?そういう会社はそもそも自分の未来を生み出す場所として選んじゃダメでしょう。)

 

だから就職活動するなら自分の強み(頑張らなくても人よりも苦労なくできちゃうこと)を良く知らなきゃいけないし

(でないと死ぬほど努力して平均並みの仕事しかできない職場を選んでしまう)(企業としても死ぬほど頑張らないと人並みにできない人材を選んでしまったらすごく効率が悪い)

 

会社がやってほしいと思ってる仕事についてもよく調べないと選ぶに選べないです。
(でないと学生は自分の強みが役に立つのか立たないのか全く判断のしようがないまま応募することになる)

 

 

なのに、お互いにそういった情報はまったく表記してないんですよね。

 

会社は「うちは福利厚生が充実してますよ」「給料が高いですよ」「働きやすい職場ですよ」「こんな優しそうな先輩がいますよ」

 

学生は「僕はこんな経験をしてきました」「私はこういうところが強みです(ちょっとしたエピソードで思いついたもの)」「社会人として迷惑をかけず、周囲に溶け込むことができます(みんな同じスーツ)」

 

みたいなことを出し合ってるからミスマッチになるんじゃないかって。

 

本当の強みや適性や求める人材の情報が正直にアピールしあえてれば、ミスマッチなんか起こらないし、こんなめちゃくちゃな離職率や採用環境にはなるはずないんですから。

 

下手に建て前を挟むからわけわからないことになるんじゃないかと思います。

 

まぁ、メガ企業以外の企業のほとんどが「平均的な学生が入ってくれればそれでまわる」レベルのお仕事しか任せる気がないのは見え見えなのだけれど・・・。

 

だからこんなこと言うと生意気だと思う人もいるかもしれないけど、

 

就活の時に私が抱えていた

「そもそも私はこの会社の役に立てるのか?」

「今の私にできることあるのか?」

「この会社が私に求めてる事って本当は何?」

「この会社で世の中のために実現できることって何だろう?」

みたいな疑問は案外まっとうなものだったと思います。

 

学生会やってたから、

人と一緒に仕事をするっていうのがどういうことかはよくわかってたし、

逆に仕事ができないってことがどういうことかはよくわかってました。

 

相手の目的がわかったうえで自分の目的をきちんと伝えないと、

一緒に働いててもうまくいかないのは明らかな事だったし、

それができて初めて互いにまともな仕事ができると思っています。

 

だから

「なんで意図がよくわからない質問が書かれたエントリーシートと2、3回の面接でいい人材が取れると思ってるの?」

「なんであんなちゃらんぽらんな奴を採用して満足できてるの?」

ってのも疑問でした。

 

そのちゃらんぽらんに対しても

「会社で自分に何ができるとか、会社や社会にとって自分の何がメリットになるかとか考えたことないの?」

とか正直思ってたわけですが。

 

書類選考して、面接数回やって、それで人間性や信念がわかるはずないし
受ける人間からしても会社が何を思って学生を採用しているのか、まったくわからない。

 

HPもうわべだけの体のいいな言葉ばかり述べてあるしね。

(学生さんはわからないと思いますが入社した人間からしたら「なんだこれ」「実情と全然違うんですけど」みたいなケースは腐るほどあるんです)

 

ただ、世の中のルール、実態がこうなのだから

正論を振りかざしていても仕方ない。

というのが大人になった私の意見です。

 

大して経験があるわけでも思考が深いわけでも説得力のある話ができるわけでもないタダの無知な就活生だった私が

「この社会の採用方法はオカシイ!」

と声高に叫んだところで、誰も聞いてはくれないし、状況を変えることはできなかったでしょう。

 

それにこの採用方法に疑問を持って、主張するということも語彙的にも発想的にも未熟すぎてたぶん伝わらなかったでしょう。

世の中についても何も知らなかったので説明することなど不可能でした。

 

だからあの頃の私にとってそんなことに悩んだり不満を言っている時間は完全に無意味だったわけです。

 

当時の私には「とにかく職に就く」という明確な目的があったのだから。

大卒の大したスキルも知識もない今の自分では、世の中に必要とされないというのは肌で感じていたはずだから。

 

だからこそ、不本意でも

自分が「会社にとって求める人材」であることが最大限伝わるような工夫

を自らしていく必要があったし、

 

自分なりに仕事について調べたり実際に仕事に従事する人に話を聞いたりして「自分がやるであろう仕事」への理解を深めたりする必要があったと思います。

 

その具体的な方法が全く思いつかなかったし、それをやろうとも思えなかったから、当時は就職合宿セミナー以外の方法が見つからなくて。

 

そこで必死こいて身についた経験でそれなりの見た目(イメージ)は作れるようになったから、なんとかその後受けた会社から「それなりに使えそう」というイメージを持ってもらえて。

 

それでなんとか入社することができたというだけのことなんだと思います。
(実際、やっぱりミスマッチだったし。)

 

ただ、こういう問題にぶつかっているのは就活だけじゃないと思っていて。

 

何か困難にぶち当たった時、私たちがぶつかっているのはいつも、

物事の本質とそれに対する世の中の「建て前」や「都合」です。

 

たいてい、本質と建て前・都合は相反するようにできています。

 

例えば

「サラリーマンになって一人前、幸せの大前提」

→本当に幸せなサラリーマンが果たしてどれくらいいるんだろう?

 

「結婚して一人前、幸せの象徴」

→じゃあ現在の離婚率はどう説明する?

 

「資格を取っておけば間違いない」

→資格取得者があふれてむしろ職がない人だらけなのに?

→食うに困る専門職従事者が増えているのに?

 

そしてそれを解決するには

「その建て前や都合や無視してでも目指すべき未来とそのメリット」を説明するために社会(周囲の人間)を説得するか

「自分にとって心地よい自らの努力で環境を作りあげ、理解のある人たちと関わって生きていく」か

しかないです。

(解決しないで我慢して我慢して生きていく、という手もありますけど・・・。)

 

あらためて言うと、就職活動時の私の一番の敗因は、

「自分は就活で求められるスキルを持ってない」

という事実を受け入れられなかったことです。

 

それを受け入れることができず、

「人はこういうことで評価されるべきだ」

というところばかりに目を光らせてたせいで、

自分にとって一番必要なことがずいぶん後回しになりました。

 

しょせん、私はただのオコチャマだったんですよね。

 

会社というのは「一緒に働くパートナーを選ぶための面接」をしますが、

 

現状のその評価方法は

表情、態度、素直さ、面接官の記憶に残る話をしたか

ということだけ。

 

実際にそうであるかどうかより、

「そう見えるかどうか」のほうが結果につながってしまうのが

今の就職面接(に限らず世の中の)の実態である

 

ということに私はまったく気づきませんでした。

 

※もちろん、そういう表面的な採用方法なんてとらずに「実力従事」で採用を進める企業もちゃんといます。

※が、そういうところは私のような「基本的なコミュニケーションやプレゼンテーションができない人材」は最初から求めていなかったと思われるのでいずれにせよ当時の私には就職は難しかったかもしれません。

 

そして、就活を終え、社会人として暮らす今、

世の中も、そういうミスマッチがものすごくよくあるということに私は気づきました。

 

本当にいい選択をするためなら

じっくり時間をかけて実態を理解したり

実際に目で見たり手を動かしたり足を運ぶ以外に方法はないのだけれど、

 

大半の人が時間が惜しい、めんどくさいという理由で

手っ取り早く「よさそうな」条件や「手短な」条件で選んだりするわけです。

(採用活動に関して言えば実際に良い人材かどうかは、配属先の人間にとっては大ごとだが、人事にとってあんまり関係なかったりする会社もある。)

 

これは仕事の選択だろうが友達の選択だろうが恋人の選択だろうが

人生の選択だろうが理屈は変わりません。

 

友達、恋人に関しては自分ごとなのでもう少し真剣に考えるでしょうが、

今は「無いと思ったら切ればいい」という風潮が浸透しているので

けっこう安易に人と付き合い、そしてあっさり関係を消滅させている感じはしています。

 

これでは本当の信頼関係なんて、そうそう築けるものではないですよね。

 

人生だってそう。

本気でいい選択をしたいなら、徹底的に調べたり手をつけたりするもんだけど

 

「べつにいいよこんなもんで」と思って安易な選択をする人に限って

あとあとでものすごい後悔するような重大な選択を気軽にしてしまうことが多いです。

 

だから、もしこれを読んでいる就活生の方がいたら、

就活でちゃんと結果を出していきたいなら

 

「何が正しいのか」にばかり集中するのではなく

(主に企業の人事採用担当に)「何が求められているのか」に焦点を合わせた戦略を本気で練る必要があるし

 

そもそも今後の未来を本気で考えた時に

「今の就職活動の先に本当に価値ある未来が見えているのか」という視点も合わせて仕事を選ぶ必要があると思います。

 

そのうえで「就職したほうがいい」と思うのなら、結果を出すために社会のルールにのっとって

必要な対策(印象の良いふるまいやコミュニケーションのトレーニング、強み:人と比べて頑張らなくてもできることをちゃんと見つけて合理的にアピールすること)を取っていくといいかと思います。

 

そしてこれを読んでいる「かつて就活で苦労した人」は、

社会というのは本音と建て前で成り立っているということに気づいてください。

 

今もし苦しい思いをしているとしたらなおさら。

 

自分が今、社会や周囲の人間のの建て前や都合(という名の常識)に振り回されてないか?ということを真剣に考えないと、

他人の都合につぶされ、振り回され、運が悪ければ殺されてしまいます。

 

「自己責任論」がまかり通る時代なので、誰も責任を取ってくれません。

自分の事は自分で守らなければならないのです。

 

そういう目線をもたなければ、私たちが日頃うすうす感じている

「これで本当にいいのかな?」

「なんでこんなことになっちゃってるのかな?」

という疑問は一生解消されません。

 

会社や世の中のやり方に文句を言っていても、何も起こらないからです。

どうしてもこの社会が気に入らなければ、影響力のある人になって社会を変える覚悟を持たなければなりません。

ものすごく努力が必要です。

 

 

世の中は、結構不本意なルールに縛られて暮らす人が多いです。

だけど、

そのルールの範囲内で我慢して我慢して不満や愚痴を腹にため込みながら生きるもよし、

そのルールの届かないところに出て、本質や自分の人生を大事にして生きるもよし、です。

 

ちなみに私は後者を選びました。正しい選択をしたと思っています。

 

今私のまわりは

我慢を強制してくる人はいないし、

常識を押し付けてくる人もいません。

 

そういう空間を意識して作ってきたから、ものすごく快適に生きられています。

 

いわゆる、世の中の常識に合わせて本質を無視して生きるのをやめると、

「なんだ、人生はあんがい自由だな」

と感じることがすごく多いです。

 

会社にサラリーマンとして勤めることがすべてじゃないです。

親や周囲の言葉や価値観に従って生きることもすべてじゃないです。

 

ちょっと視野を広げるだけで、選択肢はいくらでもあります。

周囲が言うほどの不可能なんて、実際はほとんどないんです。

 

彼らの視野が狭かっただけ。

私たちが彼らしか知らなかっただけ。

 

世の中に視野の広い人は無限にいるし、可能性は無限大にありました。

そういうことに気づき、そういう生き方にシフトした私は、今最高に幸せに暮らしています。

 

そんな生き方を叶えるために

そして楽に生きられる人を増やすために私は情報発信しているし、

 

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ABOUTこの記事をかいた人

HSP内向軽度ADHD 不安と卑屈でいっぱいの人生を心と頭に関する知識で改善。 知るだけで生きやすくなる思考を発信中。 ●刺激少なめゆとり生活 ●ギクシャク関係だった夫と円満化 ●過干渉な母との関係改善 ●人見知り克服 ●信頼・感謝の人間関係 ●自分に合うお仕事発見 ●注意欠如やパニックによる失敗の激減 3度の飯と読書がすき。