「人を批判しない」いきもが持つ固い決心の理由

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どんな良いことも悪いことも、人の行動にはすべて理由がある。

というのが私の中での常識です。

 

例えば、

 

・誰かが誰かを非難するとき

・誰かの悪口を言うとき

・明らかに効率の悪いことをしているとき

・何のためにわざわざそんなことを?ということをしている人を見た時

・犯罪を犯すとき

・モラルのない行動をとるとき

などなど。

 
その人を「おかしい」「あの人は間違ってる」というのは簡単だけど、

私にはそうしない(ように気を付けている)理由があります。

 

それは「人の行動には必ずその人なりのワケがある」から。

 

責められたい人なんていない

大前提として、

何の理由もなく人から非難されたい人間もいなければ、

悪人扱いされたい人も

わざわざ損をしたい人間もいないんです。

 

そして、周囲からは理解できない行動をとる人はみんな、

・知らない
・気づいてないか、
・必要性を感じていない

のどれかに当てはまります。

 

この3つのせいで

他の人から見たら「なんで?」な行動をとっているわけで。

 


例えばそうだなぁ・・・

よくありがちなのは

 

・大声でクレーム言ってるご老人

・twitterで人をくそみそにたたいてる人

・わざわざ効率の悪いやり方をおし通す会社

・人の気持ちを傷つけまくる言い方しかできない人

・他者に依存的な人

・横暴で傲慢なやり方を押し通す人

・価値観を押し付けてくる人

 

とか。

私含めて「あの人って・・・」と思う人は多いのではないでしょうか?

 

彼らそれぞれにはそれぞれの理由がありますが、一番多いのは

「自分の名誉を守りたい」
「自分の利益を守りたい」

ということなんです。

 

自分が正しいと認めさせたかったり

自分の立場を少しでも上げたかったり

自分の問題から目をそらしたかったり

自分にとって都合の良い状況を作りたかったり。

 

そういう人たちは

「自分中心に行動している」という状況に気づいてません。

そしてそれが、あとあと自分の評価を下げていることにも気づいてません。

 
だから・・・正直可愛そう。

あとで困るのは彼ら自身。

でも誰もそれを教えてくれないんです。
(仮に教わったとしても、聞く耳を持てない)

 

そして

「今やってることが今後どんな結果を引き起こすのか」

を考えていない、想像がついていないわけです。

 

 

世の中は因果応報でできてる

当たり前だけど、

人を不快にさせる人は人に不快な思いをさせられます。

 

隠れて悪口を言われたり

気づかないところで意地悪をされたり

人としての評価が下がってたり。

  

わがまま横暴にふるまったり

誰かを傷つけたり虐げるようなことをしている人間に

温かい態度を取れる人はいないですから。

 

正確には取り続けられる人はいない、かもしれない。

 

だから、

自分の事だけ考えて人に迷惑や不快感を与えている人は、

(今でなくとも)必ずどこかでつらい思いをする

 

そんなふうにこの世はできています。

 

が、そんなことにも気づいてません。

 

そしてこれはあまりにも損なこと。

 

じゃあ「私」はどうだろう?

さて、その一方で自分を振り返ってみたいと思います。

 

・自分が正しいと認めさせたい

・自分の立場を少しでも上げたい

・自分の問題から目をそらしたい

・自分にとって都合の良い状況を作りたい

 

こういった残念な一面が、全くないという人はいるのでしょうか?

 

一度も自分の都合を通そうと思ったことがない人

一度も自分のことを良く見せようと思ったことがない人

 

24時間365日、そんな清廉潔白の仏のようでいられる人はまずいないはず。

 

もし奇跡的にいたとしても

「人に見られるところでは」という条件付きだったりします。

 

そうあるように頑張ってるけど本当は苦しい

周囲からそういうことを期待されて、しんどい思いを抱えながら耐えている

そんな人もまれにいるでしょう。

 

 

そういう人こそが素晴らしい

というのが今の社会だけど、

それをきちんと実行できてる人が果たして何人いるのだろう?

って思うんです。

 

そういう人は、安易に人を裁いたりしないのではないだろうか?

人を責めたり非難したり「悪人だ」と裁いている人は、果たしてそこまで清廉潔白な人生を送っているのだろうか?

って。

「私は誰かを批判できるほど、できた人間なのか?」と。

 

どうしてもそこがひっかかって、私は人を責め立てることに抵抗があるんです。

  

以前何かの本で読んだ話で、

 

群衆が「嘘をついた」と罪人に石を投げるのを止めたキリストが

「これまでに一度も嘘を言ったことのないものだけ石を投げてよい」

と言ったところ誰も石を投げることができなくなった

 

というエピソードが思い浮かびます。

 

 

というわけで

私には「あの人何やってんの?」と眉をひそめられる人であっても

痛快にバシバシ叩くことはしないようにしています。

(意識はしています。つい「この人ちょっと・・・」と言いたくなるけど)

 

 
だって自分含め誰もが同じような状況になった時

・気づいてない、知らない

・自分だって根っこでは同じことしてる

のだから。

仮にもし自分がそんな状況になったとして。

それを人から徹底的にたたかれたらどうでしょうか?

 

大して事情も知らず、

どんな思いやジレンマを抱えているかも聞かず、

行為の一部分だけ見た人に

人間的に良い、悪いを決めつけられてしまう。

 

それってものすごく悲しいし、

一方的で冷酷に感じるはず。

 

そんな思いをしたことが誰にでもあると思います。

 

私も育った家庭や会社、その他人とのやり取りの中で感じることは

ごまんとありました。

 

「理不尽だ」

「私は軽く扱われている」

と感じ、たとえ自分が間違っていると頭でわかっていても

逆に相手にいらだつこともありました。

 

一方的な批判や責め立てることでは何も生まれないんですよね。

 

が、一方的に「悪」とみなして責め立てる、

これをやってしまっている人が死ぬほどいっぱいいます。

 

無意識で、私もたくさんの人に同じ思いをさせてきました。

情けないことに、無意識だから覚えていないんですよね。

でも事実やっている。

 

だからこれまでの人生でうまくいかなかったり苦い思いをすることがあったのだろうな、と自分では思います。

 

以前の私は

「私は人の悪口を言ったり非難したりするようなことはしません」

「むしろ自分のダメなとこばかり見てます」

本気で思ってました。


でも、こういった見方考え方を知ってから

何気ない自分の生活で折に触れて思い出すと


やっている。

やりまくっているんです。

 

運転中に横入りするドライバーにムッとし

テレビで誰かの言った発言に「何言ってんの?」と思い

twitterで炎上している人たちのコメントを流し見しながら「うわぁ・・・」と見下し

会社の上司の横暴さに「なんであの人ああなの?」と家で愚痴る。

テレビで当事者を痛烈にたたくコメンテーターを見て「嫌な人」「性格悪そう」「冷たい人だ」なんて思ったり。

 

ちょっと知識がついて考え方が開けたと思っても、

そういうところは結局変わっていない。残念な自分です。

 

「誰だって嫌な人見たら文句の一つも言いたくなる」

「それをどうこう言われる筋合いはない」

と言われればそうだけど、

 

いざ自分がその矢面に立ったらと思うと

とてもじゃないけど相手を一方的に責めたり非難することは

私にはできないです。

 

少なくとも、自分と今度関わりがあるだろう人に対しては絶対にしない。


だって人間というのは恐ろしいもんで、

「不快な思いをさせられた」

という記憶はものすごく克明に残るから。

 

 

だから、私は人を非難しない、否定しないように常に自分に戒めているわけです。

匿名、ネットの世界はなおさらそう。

自分の顔が見えないと、人はあけっぴろげになりすぎる時がありますし。

 

つい批判したくなったときは

それでもどうしても腹立つことや許せないこと、ありますよね。

そんなとき私は「いや、もしかしたら」と反対意見も考えるようにしてます。

 

その人をたたいたところで何か問題が解決するのか?とも。

その裏に自分の「憂さ晴らし」「自分の価値を認めてほしい気持ち」があるのではないか?とも。

 

相手の事情を一切知らないのなら、基本的には発言しない。

どうしても何か進言したいなら、少なくとも相手の事情を知る努力をする。

それができなら、あえて発言はしない。

そう、最低限見える所では言葉にしない。

 

わざわざ相手を非難して「こうなったほうがいいよ」と伝えて

嫌われ逆切れされても平気なほど私は優しくない、ともいえますね。

 

「あの人は文句ばかり言っている」と言われかねないし。

 

気づかない、知らない

のドツボにはまり、「嫌な奴」スパイラルにどんどん落ちていってしまうのは本当に損です。

それも知らない間に嫌われたり評価が下がったり。

 

こんな恐ろしいことはないなと思うので。

 


私は、自己否定・超ネガティブ思考・人間不信とボロボロの精神状態から、多くの学びを得て問題解決力をつけてきました。

 

そのおかげで現在は、不安のない、自分の価値観に合った心地よい人生を送っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

HSP内向軽度ADHD 不安と卑屈でいっぱいの人生を心と頭に関する知識で改善。 知るだけで生きやすくなる思考を発信中。 ●刺激少なめゆとり生活 ●ギクシャク関係だった夫と円満化 ●過干渉な母との関係改善 ●人見知り克服 ●信頼・感謝の人間関係 ●自分に合うお仕事発見 ●注意欠如やパニックによる失敗の激減 3度の飯と読書がすき。