こんにちは、いきもです。
今でこそ、あれこれ挑戦することが楽しくなってきた私ですが、
以前は「超保守的なタイプ」でした。
新しいこと始めるのってなんか怖いし、なんかめんどうだし。
でもその一方で毎日毎日、同じことの繰り返しで
正直「人生ってこんなもの」と思っていたし、
「夢なんて一部の人間が見るもの」
「あんまり人生に期待すると傷つくし」
とも思ってました。
でも今は
何かしら毎日新しい刺激を取り入れていて、
日々変わっていく自分を実感しています。
「昨日の私と今日の私は同じだな」と思うことはここ1年くらいありません。
毎日が新鮮だし、人生が有意義で楽しいです。
そして夢があります。けっこう本気で叶えたいと思ってます。
叶えられると、思ってます。
超保守的だった私がどうしてこんな風に変わったのか?
今回はそんなお話。
学生~会社員まではひたすら同じ日々の繰り返しだった
思い返せば私は、学生の頃から社会人になるまで
ひたすら同じ生活サイクルの中で生きてきたように感じます。
学生の頃は
朝学校行って
同じ友達と毎日過ごして
授業受けて
給食食べて
放課後に部活やって家に帰って
晩ごはん食べてお風呂入ってテレビ見てスマホ見て寝る。
社会人になったら
朝会社行って
同じ人と毎日同じ仕事して
お昼食べて
また同じ仕事して
残業やって家に帰って
晩ごはん食べてお風呂入ってテレビ見てスマホ見て寝る。
・・・書きだすと本当に、学生の頃と社会人になってから生活パターン全く一緒でしたね。
似たような生活サイクルしている人も、多いのではないでしょうか?
そしてつくづく思ったものです。
なんか、つまんないなって。
決して暇ではないんだけど、なんか虚無感というか。
買い物しても旅行に行っても友達とランチしても
楽しいは楽しいんだけど、
いつもぽっかり空いた心の中に
なにか満たされない思いがありました。
やってみたいことはあったけど、踏み出す勇気はなかった
小~高校くらいまでは、
自分に決定権はなかったので
まあ仕方ないっちゃ仕方なかったんですが、
大学生になり
親元を離れて一人暮らしをしていたときも
私はなかなか保守的なルーティン生活から離れることができませんでした。
(もちろん、大学進学して一人暮らしをすることは、私にとっては十分すぎる挑戦ではありましたけど)
当時の「興味があったけど踏み切れなかったもの」を挙げてみると、
・一人旅(国内も海外も)
・ライブへのお誘い
・DIY
・共通の知人(つまり知らない人)のいる飲み会
・資格の取得
・あらたなコミュニティへの参加
などなど。
それもこれも、それなりにスマホで調べてみたりはしたんですが、
結局「いいや、やらなくて」と諦めてしまいました。
なんか、はずかしいとか人とうまく話せる気がしないとか
お金かかるとか大変そうとか。
いろいろ理由をつけてたんですよね。
新しいことや慣れてないことって、絶対アワアワするじゃないですか。
正直に言えば
そんな格好悪い自分になりそうなものを、無意識に避けてたんだと思います。
「やる前から挫折」が増えて、だんだん挑戦することが億劫に
一人旅なら「女性ひとり旅 危険」でつい調べてしまうし
ボランティアなら「ボランティア 偽善」で調べてしまうし。
危ないことが何もなくても
「時間が」「お金が」「手間が」「電話するの怖い」
で踏み出せず。
行動と思考がちぐはぐすぎて私が一番混乱していました。
なぜやってみたいのに自分にブレーキをかける情報ばかり追ってしまうのか?
当時の私は考えても考えてもわからず、
「踏み出せない人の特徴9選」とかいう記事を読んだりして
そこに書かれている「こうすればOK!」な行動を見ては
「だからそれができないんだってば」・・・って悩んだり
本やブログ、ツイッターで「私はこうして前に進みました!」「言い訳は甘え!」みたいな文言を見ては
「自分には意欲とかやる気が足りないんだ」
「ダメな奴なんだ」
と考えていました。
同じ学校には
休みのたびにアジアに行って現地の動画を撮ってくる子や
サークルの活動で全国を飛び回っている人もいました。
でもそれを見て
「すごい!」というよりも
「なのに私は・・・」という目線で見ていたことは間違いなくて。
でも「〇〇ちゃんはスゴイね」と言うしかなかった自分がなんかもう情けなくて。
だから自分が何かに興味をもってもそんなかっこいい感じになれそうになくて
お金が無い
時間がない
やる気が出ない
そんな理由をつけて、
私は日常から飛び出すチャンスをいくつも捨ててきました。
でもそうすることで
「挑戦しない」ことに対してなんとなく抱えていた罪悪感とか、
自分が無気力な人間だっていう事を考えなくて済んだんですよ。
「一瞬、考えはしたし。考えないよりましでしょ?」
くらいの気でもいたかもしれません。
そして気づけば
挑戦することがものすごくハードルの高いことになってしまっていました。
実際は公園の滑り台くらいなものが
なんかもう考えただけでエベレスト級になってて。
何かを始める時にはいつも
「失敗したら?」
「うまく出来なかったら?」
「いやむしろ絶対失敗する」
「いやむしろ絶対うまくいかない」
という内なる声が出てきて、
「やっぱりやめておこう」
とさらりと諦めることが当たり前の日々になってしまいました。
こうして私の毎日は、
「いつものやつ」
の繰り返しになっていきました。
結婚を機に退職して主婦になっても、
ルーティンな日々は変わりませんでした。
最初こそいつもと違う日常にワクワク感を感じていましたが、
ある程度慣れてくると、以前と同じように
「代わり映えのない生活」
に浸って過ごす日々が続きました。
「あんまり楽しくない」「わくわくしない」
という思いを抱えていたものの、
苦労も無いし、大きなトラブルもない生活。
そんな生活は本当に楽だったので、
そこから抜け出そうとも思いませんでした。
夫の仕事に不安を覚えて、お金の勉強に足を突っ込む
しかし、そんな変化のない日々に変化が起こったのは
結婚して1年ほど立ったある日のこと。
「仕事行きたくない」と夫がこぼし始めた頃です。
当時夫は工場勤務で、昼勤と夜勤を会社の都合で交互に勤めていました。
現場主任にもなって、
「俺もいよいよ管理職だ!」
なんて言っていたので
「将来は安泰だなぁ」
などとのんきなことを考えていた私にとっては寝耳に水。
話を聞いてみると、
会社の歯車としてしか自分の価値が感じられなくて、
どんなに仕事を頑張っても、
どれだけ周囲に気を配っても
「管理職だから」という理由で一方的に叱責されたり
責任を負わされることがいい加減つらいと。
普段から愚痴はこぼしていたものの、
夫は元来スーパーポジテイブな人なので
そんなふうに死人のような顔でうつむきながら話す夫を見て、
「さすがにまずい」
と、ことの重大さに気付いて血の気が引いたのを今でも覚えています。
だってこのまま働かせ続けたら、彼は心を病んでしまうかもしれないと思ったから。
そうしたら、ものすごく良いとは言えないかもしれないけれど
それなりに幸せだったこの生活を永遠に失うことになるかもしれない。
私にとって夫の明るさは、絶対に失いたくないものでした。
その明るさに今まで何度も救われてきたし、
それがなくなるかもしれないという恐怖は私が行動するには十分すぎる理由でした。
今思えば、これが私の挑戦のきっかけだったと思います。
ひとまずどうすれば安心して彼を仕事から開放できるだろうか?
ということを考えたのですが、いまいちよくわからず、
「まずはお金について学ぼう」
と闇雲に考えて勉強を始めることにしました。
人生初のセミナーに参加する
図書館で借りた本を読んだり
家計簿に関するブログを読んで、貯金はある程度できるようになったものの、
「この調子では、彼はあと数年は仕事を続けなければいけない」と気づきます。
読んだ本が言うには
『お金は守るだけではなく増やさなくてはいけない』
と書いてあったので、お金を増やすためのセミナーに参加することにしました。
しかしこれが、ものすごくハードルが高かった。
そもそも私が済む北関東では近所でそんなセミナーはやっておらず、
受けるとしたら都心まで出向かなければなりません。
都心までいってセミナーを受けるなんて、超面倒くさい。
しかも参加費は1000円もする。
交通費もトータル考えたら5000円近くするじゃないか。
今となってはセミナーの参加費としては安い値段設定だとわかりますが、
一度もセミナーを受けたことのない当時の私からすれば
「東京行くだけでもお金かかるのに1時間話聞くだけで1000円もするの?」
と、非常に抵抗感があったのを覚えています。
そうしてなかなか参加に踏み切れず、
ずるずると時間を過ごしていたある日。
都心に済んでいる友人から結婚報告があり、新居に遊びに行くことになりました。
その時に
「そうだ、せっかく東京行くならあのセミナーに行ってみようか」
と思い出し、ようやくお金を増やすためのセミナーに参加することになりました。
1つやってみたら、芋づる式に経験が増えていった
結果としてそのセミナーで得たものは
「新しい出会いと経験」「新たな世界への入り口」
でした。
私の全く知らなかった世界の話で、最初はちんぷんかんぷんだったものの、
おすすめの本を紹介してもらったり、
自分より遥かに知識のある人と話した時間は、ものすごく刺激的な時間でした。
帰宅してからおすすめされた本を読んで、さらにまた新しい出会いがあり、
繰り返しそのセミナーに通うことももう難しくは感じられませんでした。
もっと知りたい、もっと成長したいという欲求がどんどん生まれ、
知識がつくことが楽しくて仕方ありませんでした。
今ではそのセミナーがきっかけで出会った本に感銘を受けて、
現在は月1回ペースでその本の内容を紹介する勉強会を開いているんですから、
経験というのはどこでつながってくるかわからないもんです。
そしてジャンルに限らず、勉強というのは本当にやればやるほど面白いと感じます。
ちなみにそのセミナーにはネットワークビジネスへの勧誘というおまけが付いてきたのですが、
そのころにはセミナーで得たお金についての知識以外に
人との付き合い方の知識や
自分自身についての理解もちゃんと身についていたので
自分には向かない
信頼を失う可能性のほうが高い
→私にとってはダメージが大きい
と判断して丁重にお断りすることができました。
(学びがなかったら「儲かる」に目がくらんで参加した可能性もあります^^;)
でもそこで半年間学んだことは今の私の価値観にも大きく影響しているので
セミナーに参加したことを全く後悔はしていません。
むしろ勇気を持って行ってみてよかったと思っています。
最初の小さな一歩が、その後の人生を大きく変えることがある
あのときの初めての挑戦が、今の私の学びの土台になっていることは間違いありません。
といってもまぁ、危機感に急き立てられてやったこと。
そして「ついでだから」と自分の心的ハードルの低いところから手を付けたこと。
私がすごいのでも何でもありませんけどね。
ただ、勇気を出して人生初セミナーに参加することが出来なければ、
世の中には自分が想像もできない生き方をしている人がたくさんいる
と知ることは出来なかっただろうから。
やってよかったなぁ、とは思います。
まして自分がこうしてブログを書いて誰かに情報提供することも、
あの経験なしにはたどり着けなかった未来です。
私はいつも、
今やらないことで未来にどんな不都合が起こるか
という感覚を忘れないようにしています。
だってきづかないだけで、自分が今ものすごくやばい状況に立ってるって人は本当にたくさんいるから。
ちょっと本を読んだりちょと情報を仕入れると
「あれ、私このままほっといたらやばくないか?」
と気づくことって結構あります。
行動している人としてない人の違いって、
単純に「危機感持ってるかどうか」の違いだったりするんですよね。
あとは自分できっかけを作れるかどうか。
だから、日々私は学びます。
自分が見落としている危機感がないか知るために。
興味の持てそうなもの、自分の生活や未来に関係しそうな情報は積極的に取り入れて、「今から備えられることないかな?」って思って生きてます。
ちなみにビビリで心配性であることについての私の見解はこちら。
ビビリだけど、知識がつけば
何が危なくて何が危なくないのかわかるから、挑戦が怖くなくなります。
そんなわけで、今かなり楽できてます。
かなり安心感もって暮らせています。
根拠のある自信がもててます。
だから知識や情報と言うのは人生において不可欠だなぁって思います。
知る学ぶだけなら、リスクはありません。
面倒だけどね。
でも立派な挑戦であることには変わりなくて。
新しいこと知るだけで、人間ってどんどん成長します。
あなたも一度、めくるめく「知識がもたらす安心できる未来」にちょっと触れてみませんか?笑
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私は昔、自己否定・超ネガティブ思考・人間不信、諦めグセがひどく、どん底ダメダメボロボロの精神状態でした。
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そのおかげで現在は、不安のない、自分の価値観に合った心地よい人生を送っています。
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