こんにちは、いきもです。
この記事を開いてしまったあなた、
やってますね?一人反省会。
私は間違った一人反省会を10年以上やり続けた結果、その恐ろしさを存分に味わいました。
いつまでもずーっと「なんであんなこと言っちゃったんだろう?」と悩み続けるのは苦しいです。
ただ、一人反省会自体は悪いことではありません。
反省して、改善策が取れれば人生はどんどん良くなっていきます。
問題は間違った一人反省会によって、「自分を否定し続けてしまうこと」なんです。
今回は、一人反省会で自分を否定してしまうことをやめることが出来た私の話を紹介します。
結論から言うと、一人反省会が苦しいのは「なんで」という言葉のせいだったんです。
「なんで」には意味合いが2つある
「なんで」という言葉のもつ意味を注意深く掘っていくと、
・理由や原因を尋ねる
・相手を批判する、否定する
の2つの意味合いがあることに気づきます。
そして世の中のほとんどの人がこの2つ目の意味合いで「なんで」を使うことが多いように感じます。
言っている本人は「原因を聞いているつもり」かもしれませんが、それが相手に伝わらないのです。
それはなぜか?
「なんで」と聞いている割に、相手の返事を聞かないからです。
本当に原因を追究しようとしているなら、「なんで」と尋ねられた相手の答えはちゃんと聞くべき。
ですが世の中の「なんで」の言葉には「言い訳するな!」というニュアンスが結構な頻度でついてくるように感じています。
私も周囲の親や大人に「なんで」と問われたがこちらの言い分は聞いてもらえなかった経験が多いです。
・なんで勉強しないんだ
・なんでそっちを選ぶんだ
・なんでやるべきことをやらないんだ
などなど。
印象に残っているエピソードとして、
小学生のころ料理の手伝いをしなくて母にめっちゃ怒られて家の外に放り出され、鍵をかけられた記憶があります。
「なんで料理の手伝いをしないんだ!」と。
料理自体は嫌いではなかったけど、そのころはお箸をならべるとかご飯を盛るとか、楽しくないことばかりやらされたので気が進まなかったんですよね。
めんどうくさかったし。(言えなかったけど)
けど今思えば、母のやり方は絶対に間違っていたな、と確信しています。
今私が親だとしたら、
そして
・将来困らないために料理をきちんと身につけさせたいとか
・子供に手伝ってもらって、自分が楽になりたいとか
そういう未来を本気で願っているなら。
まず大前提として「なんで料理の手伝いをしてくれないの?」と聞いたときに
子供が「おもしろくないから」「めんどくさいから」と素直に答えられる状況をちゃんと作ってあげたいですね。
(私はすでに親や社会の常識に染まりすぎてて「めんどくさい」「面白くない」と言ってはいけない病にかかっていたし、言ったらまた怒られるので口に出すことができませんでした)
そして「面白くないから」「めんどくさいから」という返事が返ってきたら、
料理に興味を持ってもらえるならどうしたらいいかな
めんどうだと思わず進んで手伝いをしたくなるにはどうすればいいかな
って必死に考えると思います。
「めんどくさい」なんて理由は悪だ!
「面白くなくたって、やらなきゃいけないんだ!」
「親の言うことは黙ってききなさい!」
という根拠のない常識を振りかざして
子供に自分の都合や努力を全部押し付けて
素直に従わないなら実力行使だなんて、めちゃくちゃすぎると思います。
その結果、私は今でも母が苦手です。
こういう場合普通に考えたら親の方が長く生きてて賢いのだから、親が頭を使って子どもを導くべきじゃないのかな。
と今になって思います。(逆らえなかったから黙って従ってたけど)
結果には必ず原因がある
小さい子供のいたずらにだって、必ずその子なりに正当な理由があります。
親はどうしても「いたずらはいけない」というところにばかり目を向けてしまうけど、
ティッシュのいたずらだって、
そこにティッシュがあるから興味がわいてやるのであって、最初からティッシュを置かなければいたずらはされないわけですよね。
つまりこの場合原因は「そこにティッシュがある」ということなのです。
「なんでこんなことしたの!」と相手に怒りをぶつけたところで、
従わせることはできても相手が変わるわけではありません。
根本的に問題を解決するには「ティッシュがそこにある」という原因を見つけて取り除くしかないんです。
感情的な「なんで」は何も生まない
結局「なんで」を感情交じりに言ってる人の目的は
原因の追究ではなく、怒りや価値観の押し付けがしたいだけ。
もっと言えば、自分が楽をしたいだけだったりします。
威圧的に言って従わせれば、手っ取り早いですからね。
でもそれでは、本当の問題は一切解決しません。
おなじ事は何度も繰り返されるし、そのたびに言う側も言われる側もうんざりすることを繰り返すことになります。
本来は原因を見つけることが「なんで」の目的なのに、従わせることが目的になっているこの言葉。
言葉のニュアンス的に「感情が絡みやすいのであまり使わないほうが吉」だと私は思います。
ではどうすればいいのか。
私が提案したいのは
対自分に関しても対他人に関しても、「どうしたら」という言葉に置き換えることなのです。
なんで=あなたおかしいよ、ではない
繊細な人は否定されたことや、批判的な意味に敏感に反応してしまいます。
周囲からの「なんで」という言葉で自分が否定されたこと、怒られたことが強く残ってしまうからです。
仮にそれが「原因や理由」を聞く目的であっても、過去の経験から「否定された、批判された」と思い込みがちです。
「なんで=否定、批判」と自動変換されてしまうため、一人反省会でも原因追求になかなか目を向けることができません。
結果、一人反省会でも自己批判、自己嫌悪がメインになってしまい、問題の解決に手を伸ばすことができないという状況に陥ります。
私もその一人でした。
人から「なんで」と言われると、「あ、これじゃいけないんだ」と思ってしまっていました。
しかし「なんで」には「原因の追究」という本来の意味があると気づけたのは、私のまわりにいる人達が「なんで」に対する私の答えを真摯に聞いてくれたからです。
特に夫はよく私に「なんで」と言っていましたが、それは純粋に理由や原因を聞いていると数年付き合ってようやく気付いたんですね。
数年かかって初めて「なんで」というのは理由や原因を聞いていることもあるんだ、という理解ができるようになりました。
以上のことから、「なんで」恐怖症の人は、
「なんで」と言ってくる相手がこちらの言い分を聞いてくれなかった人ばかりだった可能性が高いです。
一人反省会を身のあるものにするためには
一人頭の中で反省をする行為は、決していけないことではありません。
問題は、その行為が「問題解決」に結びつかず、自己否定で終わってしまうこと。
大切なのは「解決のためのアクション」を見つけ出すことです。
でも私もそうだったように、一度しみついた
「なんで」=あなたおかしいよ、の方程式
はなかなか取り払えません。
なので一人反省会をする時は
「なんで」ではなく「どうしたら」に言葉を変える
ことで、否定や批判ではなく原因追求に自然と目を向けられる状況を作ろうということなのです。
「どうしたら」という言葉には否定的なニュアンスは比較的感じにくいはず。
そうすることで問題は自然と解決に向かっていきます。
私は今でも頻繁に一人反省会をしていますが、「否定批判」ではなく「問題解決」を目的としているので落ち込むことはほぼありません。
やればやるほど、状況は改善していきます。
一人反省会で悩んでいるあなたも、ぜひこの「どうしたら」作戦、取り組んでみてはいかがでしょうか?^^
ちなみに
私はこれに気づいてから他人に対しても「なんで」という言葉は極力使わないようにしています。
特に相手を責めているように誤解されそうなシチュエーションでは絶対に使いません。
大事なのは相手を否定して自分の意見に従わせることではなく、その後の行動を改善して問題を解決していくことだから。
私は人から責められるのが何より嫌い(怖い)ので、相手を責めない言い回しはたぶんプロレベルです。笑
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