自分のペースで生きるためにいきもがとった方法

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こんにちは、いきもです。

今日はマイペースに生きるには?というテーマで書いていきます。

 

 

私は今、毎日を「自分のペースで」生きています。

 

やろう、と思ったときに手を出して、

やっているときに邪魔が入ることはほぼ無いし、

寝ようかな、と思ったときに眠ることができます。

 

もちろん、1日の中でやることはたくさんあるし

誰とも会わない生活をしているわけではありません。

(なんなら9人家族ですし)

 

ちゃんと自分のペースを守って暮らせると

とにかく心に余裕ができるんですよ。

 

ちょっとしたことでイライラしなくなるし

自分の用事は済むから人を手伝おうかなとも思えるし

自然と機嫌がよくなって、笑顔も浮かびます。

 

やっぱり「自分のペースを守る」、「余裕をもつ」というのはだいじなんだなぁと思います。

 

しかし、以前は

完全に他人のペース

で生きてました。

 

何が食べたい?

→あなたの食べたいものでいいよ!

 

どこいきたい?

→私は特にないからあなたの生きたいところへどうぞ!

 

あなたが決めて!

→(この人の好きそうなものは・・・)じゃあここにしよう!

 

といったように、

常に相手ファースト。

 

常に相手のために。

 

それが人間関係において一番大事な事だと思っていました。

 

そしたらね。

ろくなことないんですよ。

 

何をするにも「お伺い」を立てなきゃいけないし

相手にこちらの事情は分からないから返信を早く返さなきゃと焦るし

常に相手の気持ちを先回りしないといけないからいつも気を張ってなきゃいけないし。

余裕、ぜろ。 

やっぱりしんどかったんですよね。

 

今回はそうした生活をどうすれば「自分のペース重視」の生活に変えていけるのかについてお話しします。

しんどいけど仕方ないと思って頑張ってた母娘関係

私は母との関係が一番の悩みでした。

 

小さいころから母の機嫌をとるべく、

 

やりたくもない家事を率先してやったり

母の愚痴を延々と聞き続けたり

いい娘を演じるために勉強を頑張ったり

わがままや反抗をしないように生きてきました。

 

母の機嫌が悪くなるとひどく苦しかったんです。

胸が締め付けられて、泣きそうになりました。

 

怒りの対象が私でなく兄や父だったとしても

とにかくものすごく居心地が悪くて嫌で嫌で。

 

母に極力尽くして負担を減らすことで多少はこの居心地の悪い状況を改善できるのでは、と必死だったのだと思います。

  

でも母は、そんな私をあまり褒めてはくれないし感謝もしてくれませんでした。

むしろ「余計なことしなくていいから」「邪魔」と私をはねのけるようなことも良くありました。

「そういうのいいから!!」八つ当たりをされたことも少なくありません。

 

だんだん、自分ばかり尽くしているのに

母は自分に何も返してくれないことが嫌になって

母と距離を取るようになりました。

 

結婚して家を出て、

母からの連絡が来るたびに返信をしていましたが

大きなため息をつきながら笑顔のマークを打つ日々。

 

けっこうな頻度で家に来て、愚痴を吐いてすっきりする母にイライラしながら

でも母にそれを悟られないように精一杯いい娘として「接待」をしてきたわけです。

 

結果どうなったか。

 

母はますます私に依存的になりました。

 

愚痴も止まらず

私に感謝してくれることもなく。

 

その割に「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいい」「あれはダメ」「これはダメ」と干渉してくるようになりました。

(もともとけっこう過干渉でしたが)

 

私はどんどん疲弊していきました。 

  

私はこんなに尽くしているのに

私はこんなに努力しているのに

私はこんなに苦労しているのに

私はこんなに我慢しているのに。

 

なんであなたはそれに対して何も返そうとしないの?

なんで私の自由を奪おうとするの?

なんで放っといてくれないの?

 

この人は人としてオカシイ。

 

そんな思いでいっぱいでした。

 

夫の言葉で目からうろこが落ちる

「いきももわがまま言っていいんだよ」

母のことでつい愚痴ってしまった時、夫がこういいました。

 

私「え、いやいやそうもいかないでしょ」

夫「だってお母さん、好きにやってるのにいきもだけ我慢してるのはオカシイでしょ」

私「いやそりゃそうだけど、あの人は何を言っても変わらないよ。どうせあれこれまた干渉してくるに決まってる」

夫「そしたらお母さんの前では「そうだね」って言って帰ったら好きにしたらいいじゃん。今いきもはここに住んでるんだから、俺はそれでいいと思うよ」

私「いやまぁそうだけど・・・」

 

最初こそ、なかなか受け入れられない提案でした。

 

そんな自分勝手に生きていいのだろうか?

母親の意見に逆らって生きてていいのだろうか?

相手の要望にこたえなければ後でひどいしっぺ返しが来るのではないか?

 

そんな不安でいっぱいで、私はなかなか簡単にそう割り切ることができませんでした。

 

 

でも、夫の言う

「母のいる前だけ同意しておいて、見てないところで好きにする」

という生活は、思っていた以上に快適でした。

 

「栄養バランスのとれた食事を旦那さんに食べさせなきゃだめよ」

と言われても

カップラーメンやお惣菜を出したらそれはそれでおいしそうに食べる夫。

 

「お姑さんの意見はすべてハイハイって聞かなきゃだめよ」

って言われても

お姑さんは意見を押し付けてくる人ではないのでそうする機会もない。

 

「仕事って我慢して無理してお金をもらうものよ」

って言われても

そうでないお仕事をしているほうが精神的にすごく楽。

多少欲しいものを我慢すれば、お金に困ることもそれほどない。

 

 

そんな経験をたくさんして、

「親の言葉は常に正しいとは限らない」

「言われたことに従う必要はない」

「いいという人も良くないという人も両方いる」

ということをたくさん知りました。

 

何千枚、うろこが落ちただろうか、と思うくらい、

母の意見が偏っていて、その通りにしなくてもいいことだってある

ということに気づきました。

 

どれだけ面倒でも、相手に合わせないと私は認めてもらえない

そんな気持ちがどこかにあって、私は今まで人のペースに飲まれることをやめられませんでした。

 

「これだけ尽くせば、絶対何か返ってくるはず」

と信じてたのかもしれません。

 

でも、それって絶対じゃなかったんです。

むしろ律義に恩を返すどころか「もっともっと」なんていってくる人もいて。

 

けっきょく我慢を繰り返して、いい加減相手が嫌いになって、「もう無理」と強制的に縁を切る

みたいな関係しか作れませんでした。

 

「なんで私のまわりは無茶を言う人ばっかりなんだろう?」

と思ってました。

 

 

毎回関係を壊すのは嫌だけど

でも尽くす、我慢する以外の方法を知らなかった私にとって

 

尽くさないという選択肢は「孤立」につながるものでしたから

怖くて限界まで頑張ってしまってたんでしょうね・・・。

 

でも結局人間って、

どんだけきれいごとを言ったって人に振り回されるのは嫌なんですよね。

 

自分のためになることしかしたくないんですよ。

本音はね。

 

自分にとって楽しいとか

自分にとって嬉しいとか

自分にとってメリットを感じられるようでないと。

 

無条件で相手の話を聞いてると

やっぱどこかに不満がたまってくる。

 

無条件で自分ばかり損していると、

だんだん相手が嫌いになっていく。

 

相手も自分になにか返してくれるなら

(親切とか、共感とか、称賛とか、お礼とか、物とかお金とか)

まぁいいけど、やっぱり嫌なものは嫌なんです。

 

その「人間としての我」と

私の「気づきすぎる性格」「配慮しすぎる細やかさ」が

ドはまりしてしまったことで、私と母は尽くす尽くされるの関係になってしまったんです。

 

自分の要望は、たいてい相手に伝わっていない

人ってたいてい自分の中にルールを持っていて、

「これはアリ、これはナシ」っているのが決まっています。

 

で、自分がされても何も感じないことって言うのは人も同じように何も感じないと思って行動しています。

 

だから、繊細な人間と普通の人間がいることも知らないし、

何気なくかけた一言で「そんなに気にしてるとは思わなかった!」ということも良くあることなんです。

 

私の場合は、自分と同じ感覚を相手も持っていると思いこんでいたから

 

自分が特に傷つきやすいとか繊細だってこともあって、

相手への要求があまりに高かったようです。

  

誰かと誰かが言い争っていたら、それを何とかいさめようとするしそれが普通なのだと思っていました。

 

でも相手はそうでないことがある。

「自分には関係ないから」と放っておける人もいるんです。

わざわざ止めに入るほど、しんどい気分にならない、気にならない人もいるから。

 

そういう目線を知らないから、私の基準で私は母を測っていました。

 

こういう時はこうすべきなのに

こういうことをしてもらったら、返すべきなのに

 

そんなマイルールを母に押し付けて、「配慮が足りない」「感謝が足りない」と一人怒っていたわけです。

 

でも嫌われるのが嫌で、反発されるのが嫌で、それが言えないから

ただ我慢、そして相手を嫌いになるというサイクルにどっぷりつかっていたんですよね。

 

 

どうしたら自分のペースを守れるのか?

想像以上に周囲と比べて自分の物差しが厳しいと気づいた私は

相手と同じスタンスをとる

ということを試すことにしました。

 

相手が「あれ食べたい」「ここ行きたい」って自由に言う人ならば

私も自由に言ってOK。

 

相手がこちらに配慮して「どうかな?」って聞いてくる人には、同等の配慮をする。

配慮をしてくれない人には、相手のレベルに合わせた配慮のレベルで良しとする。

 

自分のルールではなく、相手のルールで行動を決めてみることにしたんです。 

 

 

そしたらね。

全く問題なかった。

びびるくらい、問題なかった。

 

母は別に文句を言ってくることもなかったし、

態度があからさまに変わることもありませんでした。

 

むしろ必要以上に母のペースに合わせないことで私に精神的なゆとりができたせいか、関係はちょっと良くなった気さえします。

 

母だけでなく、会社の人や友人にも試してみました。

 

そしたら同様に関係がちょっとよくなって、

「最近あんまり壁を感じなくなった」とか

「何考えてるかわからなかったけど、わかるようになって安心した」とか。

そんな感想が返ってきました。

 

 

もちろん、「なんで?いままで尽くしてくれたのにヒドイ」な人もいました。

 

でもそれは本当にごくわずか。1、2人いたかどうかです。

だからちょっとずつ距離を取って、自然消滅させていただきました。 

相手も尽くしてくれない私に用はないと思ったのか、それから連絡してくることもありません。

 

ちょっと寂しかったけど、残った人たちを見たら

「大事にしたい」「今後もぜひ付き合っていきたい」

そんな人たちばかりでした。

 

むしろ、関係が薄くなった人は

なんとなく価値観がちがうとか、この人面倒くさいとか

私が内心そんな風に思ってた人が多かったんです。

 

私が自分のペースで生きられなかったのは、ここに原因があったのではないかとようやく気付き始めました。

 

マイペースになると「自分ばかりもらおうとする人」と離れることができる

人間関係において完全にマイペースになることはできないけど、

相手のルールにのっとって行動することで、私はずいぶん精神的に楽になりました。

 

もともと人に気を使いすぎる性質だったこともあって、

「そこまでやらなくてもいい配慮」をしすぎていたんでしょうね。

 

厳しすぎる自分ルールを、自分より甘い他人ルールに持ち替えたことで心や時間のゆとりはとてつもなく増えました。

 

やりたいことだけやってる人には自分もやりたいことをやるように許可し、

自分に細やかな配慮をしてくれる人には同じだけの配慮を返す。

 

そうして余裕ができることで初めて、

自分にやさしくない人にも「しょうがないか」と優しく接したり配慮する余裕が生まれてきたんです。

 

そうしたら、感謝や配慮が返ってこなくても別に気にしなくなりました。

「べつに私がやりたくてやっただけ」と、心から言えるようになったんです。

 

これこそが、私が目指していた「無理なく他人に尽くす」理想の形だったと気づいたわけです。

 

まずは自分の願いを叶えよう

結局心に余裕を持つには、自分を満足させて行くしかなくて。

その為にはある程度の「関係性の選別」って必要なんじゃないかなって今は思います。

 

やみくもに人に尽くすと、尽くしてくれることを求める人ばかりが集まります。

繊細な人は特に、無差別に尽くしすぎるので負担がどうしても多くなります。

相手に要求ばかりする人は尽くしてくれる人が大好きなので、繊細な人に依存しがち。

その結果尽くす側は余裕がなくなって、精神的に参ってしまったり腹が立ったり、

自分も相手に要求ばかりする人間になってしまいます。 

 

人間って、してもらったことよりしてあげたことの方が30倍覚えているそうです。

だから、してもらったことに目を向けるためにも、余裕は大事。

 

そしてその余裕を作るためには

私の場合「相手のルール」という比較的ゆるいルールで行動したことが功を奏しました。

 

相手はそのルールで生きているのだから、基本的に文句は言わないはず。

文句を言ってくる人は、要求が過ぎる人なのでおつきあいはしない。

 

そうして人間関係を選別することが

人生を自分のペースで生きるためにすごく大事なことでした。

 

まずは身近なあの人から、あの人になったつもりで接してみてください。

 

「そんなことしたら自分のまわりからは人がいなくなってしまう」かどうかは、やってみないと分かりません。

 

もし仮にそうだとしても、それは「健全な人間関係」ではなかったわけです。

そのままそこにいるのは、絶対良くない。

 

だから離れて大丈夫なんです。

 

ここから、新しい仲間を増やしていきましょう。

やることは同じです。

「相手のルールで接して受け入れてくれる人と関わっていく」

それができれば必ず、良い人間関係は作れます。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

HSP内向軽度ADHD 不安と卑屈でいっぱいの人生を心と頭に関する知識で改善。 知るだけで生きやすくなる思考を発信中。 ●刺激少なめゆとり生活 ●ギクシャク関係だった夫と円満化 ●過干渉な母との関係改善 ●人見知り克服 ●信頼・感謝の人間関係 ●自分に合うお仕事発見 ●注意欠如やパニックによる失敗の激減 3度の飯と読書がすき。