私は超ネガティブで、自己中心的で、悲観的だった自分を改革して今の生活を作り上げました。
その動機は何だったんだろうか?という話。
先日お友達と4時間近くおしゃべりして気づいた、私のルーツについてです。
動機は「捨てられたくない」という焦り
自分を受け入れてくれる人がたまたまいて、
そこから「ここで変わらないとこの人にまで捨てられてしまう」っていう焦りが私を突き動かしたんだと思うんですよね。
それが今の夫なんですが。
それと就職活動の時。
私は全っ然うまくいかなくて、100社受けて100社落ちる日々。
内定をもらったのは卒業式の11日前でした。
逆に付き合ってた彼氏(今の夫)は、
適当に探して面接受けに行った会社でポンポンと簡単に内定を持っていくような感じ。
もうただただ私は彼に対して八つ当たり。
羨ましくて悔しくて。
彼に対して文句を言いたいけど嫌われそうだから言えなくって。
だめな自分が恨めしくて悲しくて、
「私なんかといても幸せになれないから他の子の所に行ったら」
なんて大変に失礼なことを言ってた。(失礼だとも思ってなかった)
なのに自分の努力は全然しない。
今普通に考えて、捨てられて当然な態度だった。
後日談で、彼も確かに面倒くさ!とはなってたみたい。笑
けどそれなのに私といつづけてくれた。
その理由は
「今この状況で俺までもこの子を見捨てたら、本当に危ないかもしれない」と思うと放って置けなかった
ということ。
自分のためじゃない、私のために一緒にいてくれたわけで。
聞いたのはだいぶ後になってからだけど。
この人にこれだけのことさせてなんとか繋がってるんだもん、これ以上迷惑かけられない。
これ以上自分勝手に自己中心的に生きてたら、いつか必ず嫌われる、捨てられるって思ったんです。
ええ、焦りましたとも。
人生で最も最底辺だった頃の醜態を見せても離れなかった
私にとって他人に対してこれ以上望むことはなくて。
それ以上のものを望むってとはつまり、相手が離れていくことと同じだと。
だって、基本的に人間の器の度量って決まってて。
上限があるんですよ、誰にでも。
その上限超えると、それまでどんだけ気に入られてても嫌われるんですよ。
私はそれを中学生の時に知ったんです。
昨日まであんなに仲の良かった子達が
突然私に対して冷たい目で接するようになったあの日から。
母親が私に対してどんどん冷めた態度で接するようになったあの日から。
親友だと思ってた人が私を無視し、一番愛してくれるはずの母が私をないがしろにするんだもん、
血の繋がりも義理もない赤の他人が私のことを全力で受け入れてくれるはずない
愛してくれるわけがないって。
だから今でも、誰かに自分の精神的な全体重をかけきるっていうのは怖くてできない。
そうするべきじゃないということをたくさんの本を読んで学んだということもある。
それに、体重をかけ続けられる側のしんどさも知ってる。
今自分が離れたら、この人どうなっちゃうの?死んじゃうかもしれない…という不安で離れられない、
耐えるしかない支えるしかないつらさも知ってる。
そんな気持ちで学生の頃の友人や、母を支えて来たから。
だから、あのとき彼に自分勝手な重みをかなりかけてしまったことをすごく反省してるし、もうそれは返しても返しきれない恩になってる。
あのとき見放され、捨てられていたら、今生きてなかったかもしれない。
それくらい当時は追い込まれていたのだから。
でも甘えないのは無理だった
とは言っても、まるきり甘えなかった、頼らなかったわけじゃないのです。
私はそんなに強くなれなかった。
今考えても引くぐらい甘えに甘え、頼りに頼っても、
なぜか捨てられなかった嫌われなかった。
という過程を経たから、
ようやくこれ以上は甘えていてはいけないと自分で立ち上がることができたんだと思います。
こういうのって、本当は親にたいしてする甘えなんだろうなぁ(遠い目
今思えば、甘えながら彼を試してしまってたんだよね。
どこまで行ったら嫌われるんだろう、この人の誠意ってどの程度のもんなんだろうって。
彼の家に行く道の途中で突然立ち止まって、1時間以上待ってみたり(心配して迎えに来てくれないかなと)
→来てくれた
駅での待ち合わせで気づかないふりをして彼のことを避け続けたり(私の事を必死に追いかけたり探したりしてくれている姿を見たかった)
→一生懸命探してくれた
今思えばマジで本当に何様だよっていう感じなんだけど。
けれど当時は私なんかどうせ捨てられるんだろうという思いと、ここまでやっても捨てないでほしいという願いがまぜこぜになってた。
試しながら、切望していたんだろう。
頭の中ではアラートが鳴り響いてた。
「こんなことしてちゃダメだ」
「捨てられるぞ、傷つくぞ」
「今度こそ、誰も信じられなくなるぞ」って。
最初はかすかに聞こえるかどうかだったけど、
本を読んだり彼と長く一緒に過ごしていくことでその警告はどんどん大きくなった。
そして彼から後日談として就活の時私を見捨てなかった理由を聞いた時、
そのアラートが大爆音になった。
「もうこれ以上、彼を追い詰めてはいけない」
「今私が変わらなければ、彼は愛想を尽かして必ず他の人に心変わりする」
「そうなったら最後、もう二度と誰も信用できなくなる」
と。
彼に対する恩は返しても返しきれない
一緒にいる間、きっと相当面倒くさいと思ってたと思う。
告白しちゃった手前、振るのも振りにくかったからだと思う。
他の子にしとけば良かったなと激しく後悔したと思うけど。
けど彼はそれでも私と一緒にいてくれた。
私を見限ることなく一緒にいてくれた。
自分勝手でめちゃくちゃで、迷惑ばかりかけて、彼のことをこれっぽっちも大事にしない私でも一緒にいてくれた。
これ以上他に望むことがあるだろうか?
この人を失ったら私は誰ともうまくやっていけないと本気で焦った。
今の弱っちくて自分勝手で子供な自分でいる、という選択肢が完全に消えた瞬間だった。
だから、結婚もして、これからずっと一緒に生きてくんだ、ってなったとき
「私は彼に恩を返し続ける義務がある」って密かに思ってた。
し、今でもそれは変わらない。
Q.変わるの怖くなかった?→A.
いいえ。全く。
これまでの変化を振り返っても、自分を変えるとか価値観を変えるっていう意識はなくて。
単純に彼の隣にいるのにふさわしい自分になりたかった一心でした。
最低の最低まで落ちた私ですら捨てなかったわけですから、
彼に対しての信頼はもうほぼ揺らがなくなっていって。
だから捨てられるかもしれないっていう気持ちもあったけど、それがだんだん
「彼にお似合いの人」になりたい
の方が強くなったんですよね。
彼だけじゃなく、周りの人にも認められたくなったというか。
だってとにかく彼は人に好かれるんですよ。
自然と人に囲まれる。
(魅力的な人なんです。引く手あまたのなか、なんで私と付き合ってくれたのか、未だに謎です。)
だから隣にいる私が能面みたいな顔で絶望的な気分で日々過ごしてる
なんて明らかに変じゃないですか。
「彼めっちゃいい人だけどあの隣にいるやつ、何?」って思われてそうで。
その劣等感で居心地がとにかく悪かったんですよね。
彼は色んな人に好かれていたし明らかに私よりも人受けが良かったから、
彼に染まっていけば人から好かれるようになるんだっていうのは明らかだったし。
彼と同じように誰かに対して明るく朗らかに接したり、
いつも笑顔でいたり助けられることがあったら助けに行ったり、
そういう彼と同じような行動をすればいいんだって。
そしたら彼の隣にいてもこんなに劣等感を感じることはないだろうって。
変化する自分に抵抗がなかったって言うか、彼と同じことをして状況が悪くなるとは一ミリも思わなかった。
明らかに進む道のほうが明るかったから。
たくさん読んできた本たちも、誰からも好かれる彼に自分を寄せていくほうがうまく行くぞと言っていました。
変化に対する抵抗感は強かった。
もちろん自分を変えるということ自体に抵抗感はあって。
今までの自分の行動と反しているから、変化に対するブレーキとか違和感とか気持ち悪さ居心地の悪さはあった。
私なんかが人に笑顔を見せても誰も喜ばないし、むしろ気持ち悪いでしょ、みたいな。
でもそれはやりたくない、やったら嫌なことが起きるってことじゃなくて、
単純にこれまでの習慣に抗うっていう抵抗感。
自分のやり方や行動で培ってきた人生を振り返ると、
本当、本当にろくでもなかったから。
これまでの私の行動と彼の行動どっちが正しくてどっちが間違ってるのかは明白だったんですよね。
こっちに進めば絶対うまくいくっていう安心感があったから進めたんだと思います。
何がいいたいか?それはね。
人は人によって変わるんですよ。
信じられないような受け入れられ方をしないと、やっぱりそれまでの不信感って消えないし。
変わるためには、変わるだけの何かがやっぱり必要で。
自分一人の意思ではやはり変われない。
そこに必要なのはやっぱり、人。自分を認めてくれる人。自分を受け入れてくれる人。
そんな人いないって思うかもしれない。
「いきもさんの旦那さんみたいな人、見たこと無い!」
と思うでしょう。
そりゃそうよ、出会ったことがないんだもの。見えないんだもの。いる場所に言ったことがないんだもの。
地球に住んでて宇宙人に会ったこと無いんだから、宇宙人なんかいないって思ってるようなもんです。当たり前ですね。
でも出会っちゃったら?自分をそのまままるっと受容してくれる人がいたら?
「私、そのままでも受け入れてくれる人いるんだ・・・」
と気づいたら?
世界は変わります。
あれもこれも、どうせできないと信じ切っていた心が動きます。
私には資格がない。と思っていても求める心が湧いてきます。
知らず知らずに、足が前に踏み込みます。
わかんないよね、経験したことないもんね。
けど、経験したら、事実になる。真実になる。
それを沢山の人に経験してほしい。
それが私の目下の願いです。
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